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3000万円オーバー! 日産「スカイライン GTS-R」のレース用モデルは「日本一速い男」のために「ニスモ」が作った特別な1台でした

投稿日:

TEXT: 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)  PHOTO: Bonhams

  • 「20万1600ドル(邦貨換算約3144万円)で落札された日産「スカイライン GTS-R NISMO Gr.A」(C)Bonhams」
  • 「20万1600ドル(邦貨換算約3144万円)で落札された日産「スカイライン GTS-R NISMO Gr.A」(C)Bonhams」
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  • 「20万1600ドル(邦貨換算約3144万円)で落札された日産「スカイライン GTS-R NISMO Gr.A」(C)Bonhams」
  • 「20万1600ドル(邦貨換算約3144万円)で落札された日産「スカイライン GTS-R NISMO Gr.A」(C)Bonhams」
  • 「20万1600ドル(邦貨換算約3144万円)で落札された日産「スカイライン GTS-R NISMO Gr.A」(C)Bonhams」
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  • 「20万1600ドル(邦貨換算約3144万円)で落札された日産「スカイライン GTS-R NISMO Gr.A」(C)Bonhams」
  • 「20万1600ドル(邦貨換算約3144万円)で落札された日産「スカイライン GTS-R NISMO Gr.A」(C)Bonhams」

ゼッケンやデカールは西仙台で優勝した当時を再現

2025年1月25日、ボナムズがアメリカで開催した「The Scottsdale Auction」において日産「スカイライン GTS-R NISMO Gr.A」が出品されました。このシャシーナンバー「HR31-128388」は、レース活動を終えておよそ30年間、プライベート・コレクションのもとで静かな余生を送っていました。そして、2024年になって大規模なレストア作業が断行され、今回のオークションに登場しました。同車について解説をします。

エンジンはRB20型を登場

「歌は世につれ世は歌につれ」ではないが、1980年代中盤の世の中……というか自動車の世界は、まさに「ハイソカーブーム」真っ只中。必然的にクルマは豪華絢爛を極めた時代である。しかし、その豪華絢爛はレースの世界にとっては全く無意味。1985年に誕生したR31型と呼ばれた7代目の日産「スカイライン」は、発売当初まさに旦那仕様ともいえる4ドアセダンと、4ドアハードトップの2種類しか設定がなかった。

そもそも7世代目の基本コンセプトは、「高性能を優しく包み込む高級スポーティサルーン」=「ソフトマシーン」である。したがって先代のモデルで登場した、かなり戦闘的に思えたFJ20というDOHC直4エンジンは姿を消し、4気筒は全く普通のCA18Sというエンジンが、下級グレードに使用されたのみ。

一方で6気筒の方は従来のL20型に代わり、新しいRB20型が登場した。このエンジン、DOHCであることは当然として、世界で初めてダイレクト・イグニッション・システム(NDIS)を装備したエンジンだった。エンジンヘッドカバーに見られたハイテンションコードや、ディストリビューターが消滅したエンジンルームの景色は、その当時の「当たり前」を知る者からしたら、かなり衝撃的であった。

1987年に800台限定のGTS-Rが登場

とはいえ、先代のFJ20エンジンでレースに復活したスカイラインとしては、当然ながらその系譜を守らないと熱心なユーザーからはそっぽを向かれる。そんなわけでまずは1986年に2ドアモデルを復活させ、1987年のマイナーチェンジを機に、800台限定の「GTS-R」を投入した。そして発表時のプレスリリースには、このクルマを本格チューンし、同年11月開催のインターテックに出場する旨が書かれていたのである。

7代目のモデルはエンジンのみならず、足まわりも最新の日産の4WSシステムであるHICASが採用されていた。レース仕様ではリアの位置決めが難しくなることから、取り去るのが一般的と思われたが、レース仕様でもHICASを採用していた点も珍しい。それにしてもこだわるわけではないが、いっそのことGT-Rを名乗ればよかった(6気筒であること、DOHCであるという条件は整っていたので)のに、GTS-Rであったところに、GT-Rのネーミングがいかにこだわりのあるネーミングであるかが窺い知れる。

1987年のインターテックで初登場となったHR31スカイラインだったが、予選では5番手と善戦したものの、決勝は15番手に沈み、少なくともインターテックにおける戦績は芳しいものがなかった。

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